覚えている最後のまなざし
カフェのテラス。グラスの曇りが視界を霞ませていた。ジウンは無言でスプーンを回していた。
「君は……何かを急ぎすぎなんだよ」
「それが何で悪いの?」
「その速さの中で……私が消えていく気がする」
あれからジウンは、現れては消える幽霊になった。既読スルー、未読スルー、ブロック。3週間で完全に蒸発した。
血のついた爪から漂う香り
僕は一体何をそんなに急いで食い散らかそうとしていたのか。
彼女たちの背中には共通の怯えがあった。まるで密室に閉じ込められた人が、ドアの隙間から漏れるガスの匂いを嗅いで足を止めるように。
僕から発せられるのは、「なれない自分」への悲鳴だった。
彼はいつも何かを埋めようと突っ走る。その空洞が何なのか、誰も――いや、彼すら知らない。
第一の痕跡:ハウンのノート
ハウンは別れの言葉の代わりに、一冊のノートをくれた。表紙にはこうあった。
『あなたの会話チェックリスト』
- 3分42秒:「どんな人なの?」(彼女の職業を言う前に)
- 8分15秒:「僕といると何が変わる?」(彼女が初恋の話を切り出した直後に)
- 12分55秒:「今、ぴったりだって思わない?」(彼女が視線を逸らした瞬間に)
ノートの最後に、ハウンは焦点の合わない文字で書き残した。
あなたは私を吸収しようとした。時間も、好みも、過去までも。 それは恋じゃなく誘拐だった。
僕はその文章を読んでも、なお「ただお互いを知る過程さ」と思っていた。愚かにも。
第二の痕跡:スジンのボイスメッセージ
スジンはボイスメッセージで別れを告げた。47秒の録音だった。背景には穏やかなカフェ音楽。
「……あなたは私が話すたびに目を輝かせる。その輝きが大きすぎて……私を飲み込んでしまいそう」
「だから?」
「だから私、今逃げてるの」
その後、スジンは僕が好きだった「春の午後」という香水をつけて歩いているらしい。たった一滴でも、一日中僕を息詰まらせるほどだと。
なぜ僕らはそれに惹かれるのか
すぐ手に入れることは、結局自分が消えることなのかも
心理学ではこれを「吸収される恐怖」と呼ぶ。相手が境界線を越えて自分の中に入ろうとした瞬間、僕らは本能的に後退する。それが恋でも執着でも、あるいはただの好奇心でも。
僕は毎回「速く」ではなく「完全に」を望んでいた。彼女の一日も、まなざしも、息づかい一つまで自分のものにしようとした。
その欲望の果てに残ったのは、僕ではなく、僕が消えた彼女のバージョンだけだった。
消えた人たちの共通点
ハウンもスジンもジウンも、一ヶ月も経たないうちに消えた。彼女たちが最後に残した痕跡は、例外なく同じだった。
一文のメッセージ。
「あなたは私を知っているふりをしてるけど、私を見たことなんてない」
僕はその言葉を何百回も噛みしめた。そしてある日、ふと気づいた。
僕は彼女を好きだったんじゃない。彼女になってほしかったんだ。
扉が閉まる瞬間
今日もカフェのテラス。新しい女の子が座っている。今度は誰になるのだろう。
彼女がマグカップを持って口元に運ぶ瞬間、僕はまた歯ぎしりした。
飲み込んでしまいたい。
彼女を、彼女の過去も、未来までも。
彼女がちらりと下を向いたまなざし。その奥にちらつく不安。
今度は違うかな?
僕は知らない。まだ知らない。
ただ、今は確かにわかった。
僕が彼女を追い払う理由は、僕が作りたかった彼女ではないことに気づいたからだ。
なら君は?
好きなあの人の顔の奥に隠された、自分の欲望がどれほど大きくて、彼を逃がしてしまうのか、まだ気づいていないのではないか?