「まだ捨てられない気がする」
引き出しを開けるとビニール袋がひとつ光った。べたつきもなく、埃もない。製造は2021年7月。賞味期限は来年まで。17ミリ、エクストラクローズ。夫のミンソクが買っておきながら一度も使えなかったあれ。指先でそっとなぞるとビニールがひそかに震えた。まるで 「まだ生きてるよ」 と囁いているようだった。
うごめくシリコンの温度
その夜、ミンソクは長めにシャワーを浴びた。水音が止まり、ベッドの端に座る足音。彼は言った。
「今日… なんか、やってみる?」
あなたは答えず、ミンソクの太ももを見つめた。まだ水気の残る脚を赤い筋が伝う。ふぅ、と呼吸が漏れる。そしてふと。
「もしかして私もこのシリコンの中に閉じ込められちゃう?」
その思考が全身を伝って流れ落ちていった。
白い袋に残った素顔
ミンソクの従妹スアの話だ。スアは去年の暮れに離婚した。結婚5年目の出来事。理由は単純だった。
「空のコンドーム箱がひとつもないの」
スアの夫は家じゅうに箱を隠していた。ベッド脇、運転席のグローブボックス、書斎の本の間。けれど最後まで開けなかった。箱ごと封印テープがそのまま。スアは袋を破って確かめた。
「36箱で216個。ひとつも使ってない」
スアはそれを証拠として差し出した。
「あなたは私を欲したことなんて一度もなかった」
法廷では笑いが起きた。でも笑っている人々の目尻は焦点もなく揺れていた。
誰かの分離不安、誰かの感電不安
38歳の銀行員ヘジンはいまでも財布にコンドーム1つを忍ばせている。結婚9年目、夫とは3年間ベッドを別にしている。財布のコンドームはレギュラーサイズ、スキンカラー。袋は湿り気を帯びている。地元スーパーのレジでカードを通すたびに様子をうかがう。
「もしかして見られた?」
だがバイトは袋をちらりと振って入れてしまう。袋はガソリン臭い車の中へ戻る。ヘジンは時々財布を開けて確かめる。
「残ってる」
その言葉には恐怖と未練が同居している。
なぜ私たちはそれに惹かれるのか
コンドームは性(セックス)ではなく“終わり”を約束する。固いゴムで閉じ込めれば最後まで安全、最後までコントロール可能。だから結婚という終わりなき契約の中でも、一番端に位置するモノになる。
実際に使われなければこそ、最後の火花のように輝く。1枚ずつ破れば終わりが近づく。だから破れない。
終わりを確認した瞬間、関係も終わってしまうかもしれない という不安。
同時にその1枚は逆に欲望の証左になる。
「私はまだ欲することができる」
そうして私たちは互いを、そして自分自身を飲み込んでいく。
太ももに残る震えは誰のものか
あなたはコンドームの袋を再び引き出しに戻した。ミンソクの視線が届く前に。ベッドの上で共に目を閉じた。ミンソクの指先があなたの足首をかすめた。冷たかった。その瞬間、あなたは訊ねた。
「私たちが次に使うとき… どっちが先に破る?」