「これはね、君のものだよ。」 カフェの壁に掛かった鏡に映る私たち。彼がテーブルの下のバッグから取り出したのは、淡いピンクの革製首輪だった。丸く折りたたまれた輪に刻まれた文字が読めた。 MIN。私のイニシャル。 私は笑った。最初は冗談だと思った。三回目のデート、私と彼はまだ唇さえ重ねていない。指先が触れ合うたびに電流が走るような、そんな関係だった。
「本当につけてくれる?」 彼の声は、どこまでも真剣だった。指で革を撫でる仕草に、ふと私の太ももの内側がくすぐられた。まるでその手がすでに私の首を優しく撫でているかのように。
首輪を握る彼の眼差し
なぜ息が詰まるのか、なぜ逃げ出したい爪先に力が入らないのか。
彼は首輪を差し出し、一歩近づいた。テーブルも私たちの間になかった。カフェの喧騒が遠のいた。首の後ろが熱い。
「ここで……?」 「違う。」彼は微笑んだ。 私の部屋で。
私はためらった。ピンクの革の輪が手のひらに食い込んだ。これはただの首輪ではなかった。誰が誰を支配し、誰が誰の前に跪くのかを決める鍵だった。
欲望の解剖室
心理学者たちはこうした欲望を「認知的不協和(cognitive dissonance)」と呼ぶ。昼は強がって、夜は崩れ去りたい心。日本の会社員女性の85%が「支配される想像」をしたことがあるという調査がある。匿名保証されたアンケートだから嘘ではない。
けれど、なぜ私は逆に支配したいのだろう?
現実のような二つの物語
1. ゆりの夜
「ご主人様。」 ゆりはハンサムな男性をベッドの足元に座らせた。手首に赤いシルクの紐を巻いた。時計は午前2時を回っていた。彼は普段ゆりの上司だった。昼間はゆりの仕事を叱っていた唇が、今は「ご主人様、もっと厳しくしてください」と震えていた。
ゆりは最初は復讐心だった。信じたくないのは、その復讐がこんなにも甘い権力感に変わったということ。
2. すみれの午後
すみれはむしろ首輪をつけたかった。 「私もしてみたいの。」 彼女の恋人は最初驚いた。いつも自己主張の強いすみれだったから。でもある日、彼女は自分で買ってきた黒い革の首輪を差し出して言った。 「これで私……縛って。」
それから毎晩、すみれは帰宅途中の地下鉄でその紐を撫でた。吊り革を握る自分の手首に革の紐が絡まる想像。誰かが自分を連れて行く想像。 「普通」という枠を外れた瞬間、彼女はようやく息が通った。
タブーを夢見る私たち
なぜ私たちは整った愛ではなく、こんな不安な緊張感を望むのだろう?
答えはない。ただ一つだけ。 私たちは誰かに支配されながらも安全を感じる。誰かに支配しながらも責任から逃れる。 それはまるで……誰かの指先にすべてを委ねて、目を閉じて愛される感覚。
私はまだ彼の部屋には行っていない。ピンクの革の首輪は財布の中にそのまま。 でも毎晩、ひとりで家に帰ると私の手はテーブルの方へと伸びる。 首輪に触れながら私は思う。
私を引きつけるのは彼ではなく、私の中に隠れていた「そんな私」なのではないだろうか?
あなたはどうですか? 今この瞬間、あなたの引き出しの中、あるいは心の中にも、誰かに渡したい紐が一本くらいはないでしょうか?