「今飛び降りようか。」ベビーカーを引いて12階の廊下を歩く。エレベーターが停まった隙、窓の外に見える車道が鋭く見下ろされている。赤ちゃんは抱いていない。赤ちゃんは部屋の中、夫の腕の中にいる。だから両手は自由だ。一歩だけ、手すりの上に一歩乗り出せばいい。その時スマートウォッチが鳴った。『育児日記』の通知だ。「今は赤ちゃんが泣く時間!」夫が送ってきた写真がポップアップする。赤ちゃんは泣いていない。代わりに夫がピンぼけでぼんやりと笑っている。写真の中で彼の手が赤ちゃんの頭を撫でているが、その手が私の体を最後に満たしたのがいつだったか思い出せない。
赤ちゃんを産んだからって私まで封印されるわけじゃない
出産後212日目、私は毎晩同じ夢を見る。いつも同じ夢だ。誰かの指先が私の肌をくすぐり、私が目を覚ますと赤ちゃんが乳首を咗んでいて。その後下着がじっとりと濡れている。赤ちゃんの体のせいではなく、私の涙のせいのことが多い。
育児休暇中、夫は「予備役パパ」と自慢していた。退勤後に赤ちゃんにおもちゃを振り、週末にはミルク一本を交代であげる。そして彼は私のことを「うちの子ママ」と呼び始めた。昔は「ダーリン」だった。今は「ママ」だ。その呼び名が私の罪だ。ママは逃げてはいけない人間なんだ。
「私はまだあなたが欲しい」
夫に最後に言った嘘。あの日から私は口を閉ざした。
彼女たちはなぜ逃げなかったのか
30代半ば、仁川富平で暮らし、娘を産んで1ヶ月で家を出たジヨンさん。彼女はタクシーに乗って近所を一周し、再び玄関の前に立った。ジヨンさんは私に言った。
「ドアノブを握った瞬間、私じゃなくて赤ちゃんが中に入るんだって気がしたんです。だから入れなかったんです」
彼女は結局外で立ち尽くした。2時間。管理人のおじさんが心配そうに近づいて「お子さんのパパに電話しましょうか?」と言った。その言葉でジヨンさんは電話をかけた。そして20秒で家に戻った。赤ちゃんはその間母乳がなくて泣いていた。赤ちゃんはママが必要だった。ママは逃げられない。
第二のケース:写真の中の女性
ママカフェで見かけた写真一枚。「旦那とラブラブ♡」というタイトルの投稿。写真の女性は赤ちゃんを抱きながら夫の頬にキスしている。彼女の瞳がギラついている。涙なのか、疲労なのかは分からない。
奇妙なのは、その写真を撮ったのが義母だということ。義母が撮ってくれた家族写真。彼女はコメントでこう綴った。
「義母に撮って頂いて本当に感謝です〜♡」
私はその写真を長く見つめた。彼女の口角の上がり具合、夫の頬に触れる唇の震え具合、そして赤ちゃんが映っていない部分。赤ちゃんは写真の外にある。なのに彼女は赤ちゃんを抱いている。赤ちゃんは写真の外にいるのに、彼女はすでにその中にいる。
なぜ離れてしまいたいと思うだけで罪人になるのか
産後うつは好奇心ではなく証拠だ。すべての女性が母になった瞬間「母」という名で召喚される。その名は欲望の墓だ。赤ちゃんの目を見た瞬間、私はもう「私」じゃない。私は乳首、哺乳瓶、オムツ、そして夫の「うちの子ママ」だ。だから逃げたい気持ちすら裏切りになる。
夫は言う。
「君なしじゃ赤ちゃんはダメだ」
その言葉は本当だ。赤ちゃんはママが必要。でも私は自分が必要なのか、赤ちゃんが私を必要としているのか、それともただママという機能が必要なのか分からない。
最後の問いかけ
この瞬間も夫の隣で眠るあなた、赤ちゃんの寝息に耳を澄ますあなた、ふと窓を見つめるあなたへ。
あなたは赤ちゃんを産んだ。でもあなたはいつまた生まれ変わるの?