「ここでは目を合わせないで」
スカットラックの鏡に映った、彼女の瞳だった。滴った汗が鎖骨のラインを伝い落ちる瞬間、僕たちは一度も名前を交わしたことのないのに、癖のように繰り返す合図を送り合っていた。
やあ、また来たね。
声はなかった。けれど6回目の月曜日、彼女が僕の好きな7番マシンの隣・8番に立つパターンはすでに確立されていた。呼吸音だけで互いのセット数を数え、終わりかけの頃に視線で次の30分を予告する。
汗の座標
あの日も彼女はダンベルを手にした。人差し指と中指の間に滲んだ汗粒が手首まで流れ落ちるのを見たとき、僕はごく単純な事実に気づいた。
僕が欲しいのは彼女の肉体じゃない。この空間を離れたあとも残る“香り”だ。
透明な液体の一滴が立てた波紋は、思ったより深かった。昨日も今日も明日も、彼女は同じ白いランニングシャツを着ていた。僕はその事実を記憶するために、香りを何度も胸に蘇らせた。床に落ちないよう手の甲で受け止める瞬間、僕たちは口では決して交わせない約束を交わした。
ミンジのセット間45秒
『ミンジ』と書かれたボトルを初めて見たのは3月第2月曜だった。ミンジはスミスマシンに60kgを載せて腰を下ろした。彼女が大きく息を吸うたび、僕は無意識に腹筋を張った。もしかしたら目に入るかもしれないから。
「お、今日も来たんだね」「君が先に始めたんだね」「もう3セットで終わり」「僕も」
会話はなかった。けれどミンジはいつも、僕が最終セットを終える30秒前にストレッチを始めた。腱が浮くかかとを見ながら僕は想像した。もし正面で出会ったら、彼女の冷たい汗を手のひらに受け、そのまま口の中へと滑らせていたかもしれない。
誰もいない午後3時の死角
2例目は『ジュン』と『ソヨン』だった。ジュンは11階の社内ジム・デッドリフトエリアでソヨンを初めて見た。出社スーツの裾をたくし上げた彼女のふくらはぎを伝う汗粒。ソヨンが手の甲でぬぐうなら、ジュンは指でチョンチョンと弾いた。
「汗をかくのって恥ずかしくて」
ソヨンは笑って言った。
「僕は好きだけど」
ジュンは答えた。
それ以降、ソヨンは毎週水曜午後3時に出社する。その時間は誰もいないから。
ジュンはソヨンの腰に届く汗粒が落ちる寸前にそっと受け止めて呟いた。
「次はここ、拭かないよ」
匂いのタブー
なぜ人の体液の香りに惹かれるのだろう。科学者はフェロモンと言うが、それより深い場所がある。
あの人は僕と同じ空気を吸っている。
たった一滴の汗で、僕たちはお互いに侵す。タブーはここから始まる。全身に染みついた匂いを消さず、わざとその場を離れないこと。これは単なる好感ではない。他者の生理現象を自分の感覚の中に閉じ込める、微細な所有行為だ。
最後の鏡の中の問い
今日も彼女は7番マシン、僕の隣の8番に立った。トレーニングウェアの袖で汗を拭う瞬間、僕たちは何も言わなかった。でも何もなかったわけじゃなかった。
もし彼女が僕のマシンに手の甲をつけて汗を滴らせたら、僕はそれを拭かずに家に帰れるだろうか。
鏡の中の自分の目が問う。
その汗が乾ききる前に、君は再びジムに足を踏み入れるだろうか。