彼女の息が冷えた瞬間
私たちは互いの息をすすり合っていた。クラブの前の路地、薄いネオン灯の下で。ジヒョンは私の肩を掴み、私は彼女の腰を引き寄せようとしていた。
そして――いや、その瞬間だった。私の唇が彼女の下唇を軽く押さえようとした刹那、ジヒョンは突然石のように固まった。瞳が曇り、息が止まった。誰かスイッチを切った人形のように。
「…大丈夫?」
私は声を低めた。ジヒョンは何も答えなかった。ただ、その場に釘付けになっていた。手に持った煙草が灰になり落ちていく。
凍りついた唇の奥に隠された欲望
人は初キスを「失敗」と呼ぶ。けれどそれはどんな失敗なのか。
より欲した唇へ向かう失敗。 より熱い肌へ向かう失敗。
しかしジヒョンの身体はそんな失敗を許さなかった。
私たちはいつだってそう想像する。キスは愛の始まりだと。でも肝心なのはそこじゃない。キスは接触のハードルなのだ。私はあなたの内側にどこまで入っていけるのか。あなたは私にどこまで開けるのか。
ジヒョンが固まったのは単なる動揮ではなかった。それはもっと深いところから来る反応だった。
身体のほうが先に知った。 この人とはダメだということ。この瞬間が早すぎるということ。
第一章 ユリの3秒
ユリは28歳、広告会社のAEだった。クライアントとの打ち合わせ後の飲み会で同僚のジェヒョクとキスをした時のこと。
キムチチゲの匂いがする居酒屋の2階、黄色い蛍光灯の下で。ジェヒョクがユリの手の甲をそっと撫でた。ユリは冗談を言って笑い、ジェヒョクも笑った。
そしてジェヒョクがユリの頬を撫でながら唇を近づけようとしたその瞬間、ユリの身体は石になった。
「ちょっと、急すぎ…」
けれど口に出たのはそうじゃなかった。ユリはジェヒョクのキスをそのまま受け止めた。ただ、目を閉じられなかった。目を開けたままだと、ジェヒョクの眉の一本一本が鮮明に見えた。近すぎた。リアルすぎた。
その夜、ユリは家に帰ってベッドに横たわり、考えた。
「もしかして、私はジェヒョクとキスしたくなかったのかも」 「それとも、キスそのものが怖かったのかも」
第二章 ミンソの恐怖
ミンソは31歳、音楽監督をしている。ある俳優と一ヶ月ほど「ソム(微妙な関係)」を続けていた。俳優の声に惚れていた。
しかし2回目のデートで起きたこと。
俳優がミンソの手を引いて車に連れ込んだ。車内、薄暗い駐車場。俳優がミンソの髪を撫でながらゆっくり顔を近づけてきた。
そのときミンソは突然息が詰まった。心臓が速く打ちすぎて、手に持ったスマホが震えて落ちそうになった。
俳優の息が触れた途端、ミンソは車から飛び出した。
「ごめん、ちょっと…」
その後ミンソは俳優に会わなかった。友達は言った。
「緊張しすぎじゃない?」
でもミンソは知っていた。あれは緊張じゃなかった。身体が送る拒絶信号だった。
なぜ私たちはこの恐怖に惹かれるのか
人はキスを愛の始まりと言うけれど、実はキスは死の予行演習だ。相手の唾液、相手の息、相手の肌をまるごと味わう瞬間。それは同時に私が相手にまるごと渡される瞬間でもある。
だから惹かれる。あなたと私の境界が消える瞬間に。でも同時に怖れる。私は本当にこの人に開いてもいいのか。この瞬間に酔ってもいいのか。
だからジヒョンは凍った。ユリは目を開けたままだった。ミンソは車から飛び出した。
彼女たちの身体は頭より先に答えた。
「まだ、ここまで」
君はいつまで口を閉ざしているのか
あなたも一度は経験があるだろう。キスしようとした瞬間、相手が突然固まる。あるいはあなたが息が詰まる。
そのときあなたは何を感じただろう。失望?怒り?それともほっとした安堵?
私たちはいつかその瞬間と向き合う。唇が触れる直前の恐怖。相手の瞳が曇る1秒。
そしてそのとき初めてわかる。このキスが本物か、それともただの欲望のトリックかを。
あなたはそのとき、どんな選択をしただろう。そして今も、そのときの冷たさが唇に残っていないだろうか。