最初、彼女は叫んだ
ドレスルーム裏のトイレ。トレーニングウェアの襟元に隠したマイクが少し歪んでいた。
バレたら終わりよ。違う、私たち両方とも。 彼女の息遣いが耳の奥へと突き刺さる。観客席の歓声ではなく、麻痺する心臓の鼓動だった。 震える手でダイヤの指輪を取り出し、彼女の指に嵌めた。フラッシュが降り注ぐ瞬間、手の甲に刻まれたチームロゴがピントに入った。彼女は微笑み、私は息を止めた。
仕組まれた脚本の裏側
これは単なるカミングアウトじゃない。俺のキャリア全体への脅迫だった。 彼女の本当の職業は“ファン・ストーリーテラー”。最初に出会ったのは5年前、ヨーロッパ遠征のスタジアムだった。彼女は観客席で孤独に涙を流す妹役を完璧に演じた。翌日、スポンサーたちの前で私たちは既に恋人として紹介されていた。 私は彼女の手を握った。それが契約だった。クラブは新しいマーケティングポイントを欲し、彼女はそのために生まれた女だった。 週に3回、SNSにアップする“日常ショット”を撮った。眩しい自撮りの中でも、彼女の瞳は常に打算的だった。 俺が本当に愛していたのはこの女じゃなく、舞台に立つ自分自身だった。
彼女の名前はジスだった
ジスは毎晩宿泊先にやって来た。ドアの前で既にカメラを起動していた。
「今日は何を食べよう?ファンが喜ぶわ」 彼女の声は甘かった。けれどその甘さはプロデューサーの指示に近かった。 ベッドの上でも私たちは演技した。彼女は俺の首筋に息を吹きかけながら「愛してる」と囁いた。けれどその囁きは契約書へのサインだった。 彼女の手を握ってバラエティに出演した。「お互いを救った」と語ったが、実際には彼女が俺を拘束していた。
プロ選手じゃなく、恋人役
スタジアムでの俺は次第に惨めになっていった。ケガが増え、練習時間は減った。彼女は俺の全スケジュールを管理した。
「今日はファンミーティングがあるから。練習は明日にしなきゃ」 彼女の声は冷たかった。俺は彼女のプランに従って動いた。 俺はプロ選手じゃなく、脇役としての俳優だった。
最後、彼女が消えた夜
ある日突然、彼女は姿を消した。SNSに最後にアップした写真はキスしている場面だった。翌朝、全ての投稿が削除されていた。そして彼女は二度と現れなかった。 俺はひとりになった。けれど人生は既に彼女の脚本の中に閉じ込められていた。
なぜ私たちはこの禁忌に惹かれるのか
私たちは愛そのものではなく、愛のイメージに惹かれる。 スパイクの代わりに指輪、ゴールの代わりにキス。観客は本物の恋より完璧な演技を望む。そして私たちはその欲望に屈する。
最後の問い
あなたが今「愛している」のは実際の人間か、それとも「愛しているふり」をしている自分か。一度、横を向いてベッドサイドの鏡を覗いてみてほしい。そこに笑っているのは誰だろう。